名前の無いノート

研究者見習いが名前の書かれてないノートに雑多なことを書き綴ります。

【ノットコラム】VR技術は地方格差の特効薬となるか?

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はじめに

こんにちは。なもなきです。

最近ブログの更新が滞ってしまい申し訳ありません。

更新してない間は、銀座VRに参加したり、リモートで参加してくれた方にインタビューしていたり、Twitterで喚き散らしたりしていました。 本当はインタビュー記事的なことをやりたいなと思っていたのですが、メモを見たり録音を聞きながら内容を起こすとなるとどうしても時間がかかってしまい面倒くさいなかなかモチベーションが出ませんでした。

これはまずいということで、#ノットコラム の取り組みに賛同し、一時間縛りでインタビューのエッセンスを抽出したコラムを書こうというのが今回の取り組みの趣旨です。 モチベーションが戻ったらインタビュー記事も仕上げたいと思います。

それでは、どうぞ。

地方格差とは?

最近、地方の方とOculus GOを使って会話をする機会が複数回ありました。 その中で、「東京やその近辺で開かれているイベントに参加することができないのが残念でならない」という意見をよく聞きました。 自分も元は大阪の出身で、最近関東に出たと思ったら横須賀あたりに住んでいるという身分のため、東京のイベントに気軽に参加できないという気持ちはよくわかります。

しかし、そもそも東京でイベントをやっていて、それになおかつ参加したいと思うこと自体、実は相当にすごいことなのではないかなと思いました。 そして、その気持ち自体が地方格差を是正する特効薬になるのではないか、という風に思いました。

自分個人の意見ですが、地方と都会に生まれている「格差」には、以下の3つがあると考えています。

  • 知識の格差
  • 文化の格差
  • 経験の格差

これらについて、それがどこまで解決しているか、これからどうなっていくかについて説明していきます。

知識の格差

まず、知識の格差です。これは単純に「今の時代世の中がどうなっているかを知らない」という意味合いです。 例えば、全く外と通信できない環境に3年間閉じ込められたら、その間外で何が起きているかを一切知ることができません。 平安時代まで遡ると、地方の農民は奈良の平安貴族がどのようなもので、どんな生活をしているか知る手段はほとんどなかったのではないかなと思います。 このような状態では、そもそも「東京でイベントをやっている」こと自体知りようがありませんし、行きたいとも思うことはないでしょう。

しかし、知識の格差については殆ど解消されつつあるのではないかなと思います。 その理由は、テレビ、ラジオ等の情報メディアの普及、及びそれに続くインターネットを中心としたIT革命、スマートフォンを中心としたネットワークデバイスの普及です。 今の時代、スマホを持っていない人はいたとしても、手に入れることもままならないという人は随分減ったように思います。 現代のネットワーク網は全世界に広がっており、スマートフォンがあれば殆どの知識を調べることが可能な時代になっています。 つまり、「情報を手に入れる」という行為に対して位置の依存性がなくなってきているということです。

スマホを充分に使いこなせないおじいさんならいざしらず、これから大人になっていく地方の子供達にとっては、この「知識の格差」は大きな問題とならなくなるのではないかな、と思います。 (もちろん知識を入手するデバイスとしてスマートフォンを使いこなすことが前提です。これについては個々人の育ち方、育て方次第だと思います)

文化の格差

次は、文化の格差です。これは「今の時代のトレンドに触れることができない」といった意味合いです。 都会に対する知識はあっても、それに実際に触れることができるか否かでは大きな隔たりがあります。

例えば、地方出身を揶揄する有名な歌として、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」があります。 この歌詞は、東京に対する「知っている知識」と「知らない文化」の差を如実に表している面白い歌詞になっています。 「テレビ」や「ラジオ」がこの地方にないことを嘆くところからこの歌は始まります。 これは、「知識の格差」で、おそらく歌詞の語り手は「どうやら東京にはテレビとかラジオってもんがあるらしいぞ」ということを何かしらの手段で知ったのでしょう。 語り手はそれらを求めて「俺らこんな村嫌だ 東京へ出るだ」と管を巻きます。 しかし、ここからが面白いところで、「東京へ出だなら 東京でベコ(牛)飼うだ」と続きます。

もちろん、これを読んでいる皆様なら東京で牛を買うことがいかにナンセンスであるかということはお気づきになられるかと思います(東京の農家の人ごめんなさい)。 何故、このようなことが起こるのかと言うと、語り手が「東京には何があるか」はわかっていても「何が流行っているか」「何に価値があるか」をわかっていないということにつきます。 資本主義経済においては価値観とはすなわち「お金」で、「どのようなことに人がお金を払うか」がわからないということです。 これは、地方格差を生む大きな障壁となります。

しかし、この文化の格差についても現在は是正されつつあるのではないかな、と思います。 その理由は、イオン等の大型スーパーの地方への完備、インターネットショッピングの存在、アプリによる価値観の遷移です。

あまり意識することはないかもしれませんが、大型スーパーは地方格差の是正にかなりの貢献をしています。 相当な田舎ならまだしも、今の時代は地方にもイオン等の大型スーパーがあり、「全国一律」の商品を「どこでも」購入することができます。 これによって、今まで知識でしかなかった都会の商品を、どこでも購入することができるようになりました。 これによる是正の効果は凄まじく、「イオンがあるところは田舎じゃない」とまで言われるようになったほどです。

また、2010年代からamazonを始めインターネットショッピングが台頭しはじめ、ありとあらゆる商品をどこからでも購入し、自宅に配送してくれるようになりました。 「欲しい!」と思ったものを都会とほぼ同じ価格で購入することができるようになったのです。

一昔前は田舎の時代遅れなファッションを「芋っぽい」と揶揄することはあったと思いますが、今ではほとんど聞かなくなったのではないでしょうか? これは、「知識の格差」と「文化の格差」が埋まり始めているからにほかなりません。

また、時代の価値観自体がInstagram等のアプリ(ソフトウェア)に以降しつつあり、そもそも文化に触れるためにハードウェアを手に入れる必要性も薄れつつあります。 ここから、ようやく「体験の格差」とVRの話に入っていきます。

体験の格差

体験の格差とは、そのままで「都会と全く同じ/遜色ない体験ができる」ということです。 ここで言う体験とは、例えば銀座で開かれているイベントに参加する、横浜で開かれているコンサートに参加する、といったものです。 今でも、コミケやライブに参加するために地方から多額の金銭を払って関東に通われている方も多いのではないでしょうか。 この「体験の格差」は「文化の格差」がいくら埋まろうとも根強い溝を生みます。 何故なら、「体験を共有」することが「価値を理解」することにつながるからです。 いくら良さそうなイベントがあり、それがどれだけそこで流行っているからといっても、それが「自分にとって」価値があるかどうかは実際に行って体験してみないとわかりません。 多くの人は、「体験すること自体のコスト」と「体験しないとわからない価値」を天秤にかけ、多くの場合前者を優先してしまいます。 地方になればなるほど、前者のコストは大きく膨れ上がってきます。そのため前者を優先する確率は優位に上がっていきます。

これは、いくら新幹線等の交通網が発達しても、当分根強い問題として地方を苦しめる「はずでした」。 しかし、この問題についてVR技術が特効薬となってくれるのでないか、と期待しています。 これについて詳しく説明していきます。

VR技術が「体験の格差」を埋める?

ご存知の通り、VRVirtual Reality の略称です。日本では「仮想現実」と和訳されることも多いのですが、本当の意味は少し違います。 「Virtual」で和訳検索してもらえればわかるのですが、この言葉は本来「事実上の,実質上の,実際(上)の」と言った意味を持っています なので、本来のVRの和訳としては、「実質現実」または「実際現実」といった和訳が正しいです。 このままだとわかりにくいのでもう少し噛み砕いて言うと「表面上は多少異なるかもしれないけれども、現実と遜色ない状態である」ことを指します。

ちょっと脱線しますが、例えばカニカマは上記の観点から言ってVRです。 魚のすり身をカニの繊維を模した形に加工することで、食べた時に実質カニを食べた時のような味と触感を生み出しているからですね。 カニカマを「カニだ!」と思って食べている人は、完全にカニカマによって作られた実質的現実に酔いしれている状態であると言えます。

話を戻しますと、VR技術は現実と遜色のない「体験」を「実質現実」として表現します。 この体験こそが、地方格差を埋める特効薬になるのではないかと考えています。

昨今HMD等を中心として盛り上がっているVR技術は、現実と遜色のない体験を我々に与えてくれます。 Oculus GOやRift等を購入された方はその凄さを体験していただけたのではないでしょうか。 現在現実でしか体験することのできないイベントも、時代が進んでいけばどんどんVR側に写っていくのではないかと思います。 さらに言えば、現実では体験することのできない行為ですらVRでは体験できるため、VRで体験することの価値は際限なく上がっていくと考えています。

例えば、最近の例で言えば輝夜月のライブがVRで開催されることが決定いたしました。 www.moguravr.com 輝夜月のライブは残念ながら、VR技術なしの現実では体験することはできません。何故なら輝夜月はバーチャルにしか存在しないのですから。 このように、VRによる体験はこれから現実の体験をバーチャルに体験することから始まり、バーチャルでしかできない体験を我々に与えてくれるようになります。 ここに、地方や都会等の「位置による格差」は生まれません。何故ならばネット回線と然るべきハードウェアがあれば全世界で同じ体験をすることができるようになるのですから。 また、バーチャルでの体験ができるようになることで、「知識だけで知る」と「実際に体験する」の間を取り持つ「実質的に体験する」という行為をすることができるようになります。 これによってようやく、「実際に体験するためのコストを払う」か「実質的に体験する」ことを天秤にかけられるようになります。 実際、銀座VRにバーチャルで参加した人たちは「今度は実際に銀座VRに実際に参加したい」と言ってくれました。

体験の格差を埋める鍵は、VRにこそあるのだと私は考えています。

おわりに

さて、地方には3つの格差があること、そして最後の「体験の格差」を埋める鍵がVR技術にあることを述べさせていただきました。 しかし、いくらこれらの技術や道具があっても、それを「使いこなす」ことはその人自身にしかできません。 インターネットを使いこなすことのできない人は、一生インターネットを使いこなせる人との格差を埋めることができないのです。

なので、最も重要なことは、これらの新しい技術を使いこなし、自分のものにすることです。 もしここを見ている人でOculus GO等のHMDを購入している人は、それだけで他の人達より一歩も二歩も先に進んでいると言えるでしょう。 「HMDが存在する、購入できる」ということを知識として知っていて、さらにその価値を理解して実際に手元に持っているのですから。

最後に、自分のツイートを引用して〆させていただきます。

Roomsを使って遠くの人と会うという「経験」が、地方格差を真に破壊する第一歩となってくれることを祈っています。

以上、よろしくお願いいたします。

(本来一時間で仕上げる予定だったのですが、1時間半くらいかかったような……?まぁいいか)